お疲れ様でした。

sahyaさん*1はてなの更新を止められるそうですね・・・。お疲れ様でした。(コレが的確な言葉なのかはわかりませんが)
私はsahyaさんのお書きになる文章がとても好きです。それはアンテナに登録させていただいてる方、全員にも言えることです。なにか感じるものがあったからこそ、です。
ラーメンズを通していろいろな方のブログに出会い、想う事もたくさんありました。これからもそうだと思うし、まだ出会っていない素敵な方もたくさんいるはずです。

sahyaさんのブログに関しては、いろいろな事を考えてらっしゃるんだなぁ、なんて感心して読むことが多かったのです。理由のひとつに挙げられていた矢野さんの言葉もアップされたその日に読ませて頂いてました。もうひとつのブログにはセットリストを公開してた身としては「ドキッ」とした次第です。でも、あんまりピンとはきてなくて、その答えはまだ出てないんですけど。「愛がない」と言われても、正直なとこと良く解らないんです。
ライブを観に行った本人に読まれてる、という経験もあるにはあるんですけど、(それについて本人がどう思ったかは解りかねますけども)それとセットリストの公開とは結びつかなくてですね。
多分、CDとライブは別のものだと思ってるからかもしれません。いくらセットリストを知っても、その時の演奏を聴いてなかったら全然意味のないことだと思うのです。その演奏と、会場の空気とが揃ってはじめてその日の演奏の価値が生まれると思ってます。おんなじセットリストでも、最高に良い日もあれば、う〜ん・・・という日もある。それが当然だと思うのです。だから、セットリストで「愛がない」と言われてもピンとこないのかもしれません。
作り手側としては、その日のために作ったセットリストかもしれないし、これでいいや、ってできたセットリスト(コレは無いと思いたいですが・・・)かもしれない。どちらが心に響くかは、その時になってみないと分からないですしね。
その日のために作られたセットリストを愛おしく想うことは自分の心にそっとしておくべきなのでしょうか?うれしいことがあったら、それを人に話したくなるって自然なことだと思うんです。ただ、それがネット上だけになってしまうということは「愛がない」というより、「悲しいこと」である気がします。


ただ、sahyaさんのおっしゃる「私には愛があるからいいんですよ」というのには、サクッ(何かに刺されたような感覚)となりました。以前にも「ネットで文章を書くということ」について書かれてたことがあったんですけど、大概のことが私に当てはまっていて、(私に向けて書いてるとすら思ったり。そんなね、私のところなんて見てないよ〜なんて思いつつもズキッとしたんです。持ち前の被害妄想です。)そのたびに悔しいような、手に汗をかくような、ヒヤッとする気持ちにさせられました。どんなに気をつけているつもりでも、そう思っていた自分もあったと思うし。
これから、ネット上で文章を書くことを(私は)とりあえず続けていくわけですがこうしてて考えることを忘れないようにしていきたいものです。

理由のひとつだって書かれてるのに、熱くなってしまいましたが、いろいろな考えがあってのことでしょうから、どこかでまたsahyaさんの綴ることばが読めたらいいなと思います。
お話したこともほとんどないんですが、きっと素敵なアンテナを張って、輝いていらっしゃるんじゃないかな、と思います。出会えた事をとてもうれしく思います。

ありがとうございました。